セカンドチャンス!

タクシードライバー勤務で第二の人生を謳歌してます!

あなたと私のそのあいだ

シードライバーを始めて、もう3年が経過しました。今まで数え切れない人達の目的地への足となってきました。定年前は自分が運んでもらう側でした。子どもも成人し、特にお金に困るということはありませんでしたが、タクシードライバーとして再就職をすることに決めました。妻は反対しましたが、私にはどうしても知りたいことがありました。
ある時、仕事帰りにタクシーに乗った時、笑顔が清々しく妙に印象的なドライバーからこんなことを言われたことがありました。
「お客さん、もう定年を迎えるんですってね。定年後は何をされるんですか?」
「考えてないけど、子どもももう家を出てるし、夫婦でどこか旅行にでも行くよ」私は答えました。
するとドライバーは「旅行にといっても、いつまでも続くものでは無いでしょう。まだお元気であれば、何か別の仕事を始めてみたらいかがですか?」と言いました。
落ち着いて余生を過ごすには、まだ何か足りないものが自分の中にあるのは確かでした。「そうだなぁ。それじゃ何を選ぶといいと思う?」冗談半分で聞いてみました。
「そうですねぇ。私が何故タクシードライバーをやっているか分かりますか?」
質問返しかと思いながら「さあねぇ」と答えると、そのドライバーは印象的な笑顔を再度見せました。バックミラーに写ったその瞳が今でも忘れられない。それくらい私には印象的でした。
今、私もその時のドライバーが持っていた気持ちに、少しだが近付いた気がします。タクシードライバーを始めていろいろなことがありました。その積み重ねが、きっと彼のような印象的な笑顔を作り出すのだろうと思います。
60過ぎて、このような道があることに感謝せずにはいられません。いつかあの時のドライバーにあって、一緒に酒でも飲み交わしたい、そう思ってハンドルを握る日々を続けています。

定年後でも収入は欲しいもの。スキルを活かした再就職

定年を迎えて退職をした63歳ですが、既婚であり家庭もあるため、年金だけでは生活に余裕がなく、孫などに満足してもらえるだけの収入もなく、子供に遺す貯蓄もありません。そのため再就職をしたいと思いタクシー会社に再就職をしました。
タクシー会社は年齢も不問で雇用してくれるので、最短で2種自動車免許を取得して面接を受ける事にしました。そうすると採用されやすい業界と聞いていた通り、すんなりと採用されたので新しい仕事に就く事が出来ました。
タクシーの給与は基本給に加えて歩合制になっていますので収入も満足をする事が出来ていて待遇面では良いと思います。働きたい時間帯も選ぶ事が出来ますので、夜勤で仕事をしており運転しやすい時間で快適に仕事が出来ています。交通量が少ない時間帯になりますので嬉しいです。
以前から自家用車を運転しており、同じセダン車だったので運転スキルを活かせる仕事であり運転に不安を覚える事もなく、初めての業界ではありますが、特に問題を起こさずに業務を進められています。正直、定年退職をした仕事よりも収入が多い月もありますので、かなり裕福な暮らしをする事が出来ています。

タクシードライバーは気楽だ

定年60歳になり何をするか考えた時に気楽に仕事がしたいと思い、タクシーの稼ぎ方を解説を熟読し、タクシーダライバーに就職を決めました。

最初は不安があったがまずは免許を取らねばならない、普通二種です、会社が養成で雇うので会社負担で指定の自動車学校へ行き、学科と実務の講習を受けて約20日で無事免許が取れました。

今日から実務ですが最初の10日はベテランドライバーが横について道とかドライバーとしての心得とかを教えてくれました。道は地元ですからすぐに覚えましたが、マナーとか注意することは初めてで参考になりました。

最初は主な道を流すことから始めました、プライベートでは簡単に運転していましたが、流しをするときは歩道を歩く人や車などに注意をしなければいけないのでかなり神経を使いました。最初は買い物に行く奥さんでした、ワンメーターでしたが初乗りです、流しでは中々長距離はつかめませんでしたが、慣れてくると時間帯で乗る人が分り行き場所も特定できるようになりました。

入社して半年ぐらいで会社から新人時代は古い車でしたが比較的新しい車に変えてくれて駅に入行が許されました。駅に入ると観光客とか旅行からの帰るお客さんで荷物が多いから乗る人が多いのです。

駅に入り時々長距離に当たりいい思いをしましたが、ある時台風になり電車バスがすべて運航停止でタクシー乗り場が人であふれていました、そんな時に台風が来る方向へのお客さんが乗ってきたのです、あらかじめお客さんにはいつ通行止めになるかわからないから行けるとこまで行きますと断り、駅を出ました街中は良かったのですが郊外に出ると風と雨で道が分りません、大きな橋を渡るとき大風が吹いて車がハンドルを取られて真っ直ぐに進めません、お客さんにもう無理ですと断り丁度すぐ近くにラブホテルがありましたのでそこに入りお客さんを降ろしました男女二人その後どうなったかは知りません、自分はすぐに会社に帰りその日は業務を取りやめました。

結婚式の時は前は祝儀が出ていたのですが、今はほとんど出ませんね、世知がない世の中です、タクシー運転手も年寄りばかりで後10年もしたらタクシー運転手が居なくなるかもしれません、給料が安いですからね楽して儲けたい人には向きません、しかし自分には向いています、嫌な上司はいないし気ままに仕事が出来て自分の自由になるこの仕事が好きです。

タクシードライバーに就職できて良かったことはいろんな人に出会えたことです。日本人、アメリカ人、中国人、韓国人など片言の日本語と英語で話すと自分の意思が通じるのです。
面白いことは一杯ありました、話せば尽きないことだらけです。

お久しぶりなお客さま

今日も、いつもどうりお客様をのせ運転していた。
遠くで、手を挙げて待っている人がいた。
同い年くらいだろうか、そんな事を思いながら、タクシーを止め、彼女を乗せた。

いつもどうりたわいもない話をしていたが、
偶然にも、目的地が私の昔住んでいた街で、会話も弾んだ。

昔の話していると、私も知っている話が出てきた。
まさかとは思い恐るおそる、年齢を聞いてみた。
「63歳です。」と彼女は答えた。

同級生だった。

彼女は、紛れもなく小学生の頃私が、初恋をしていた女性であった。

少し、いや、かなり嬉しかった。

だが、私も仕事中だ。彼女を無事送り届けなければ。


そう思いつつも送り届けるまでたくさん、いろんなつもる話をした。

彼女が、旦那さんが亡くなっていて、今は、一人だという事。

孫までいるが、遠くに住んでいてあまり会えない事。

そんな話をする彼女は、嬉しそうな表情の中に、少しさみしそうな顔をしていた。

彼女を無事送り届け、思わず名刺を渡してしまった。

彼女から連絡は、くるだろうか。
どこかに行くためでもいい、彼女を少し支えたいなどと思ってしまった。

もしかしたら、会えないかもしれないが、それはそれで運命だろう。

定年後の再就職はなかなか厳しい

大手食品会社で勤め、ここたび無事定年まで勤めることが出来ました。この日を迎えるまで、色々なことがありました。辛いことも多く、何度辞めようかと思いました。でも、こうして定年まで勤め、退職すると職場からも感謝されます。

それよりも妻の対応が違います。日頃から、定年までいれる人は優秀な人とくちぐせに言っているので、もし、定年までいれなかったと考えると、このさき劣等感の目でみられていたかも知れません。

定年退職後2年間位は、いままでの会社でシニアスタッフとして雇用してもらっていました。

しかし、62歳の誕生日を迎えた後、出来れば一人でできる仕事をしてみたいなと思うようになりました。

というのも、長年会社でチームワークで働いてきたので、一度はドライバーみたいな一人で仕事の成果、結果がでる仕事がしたかったわけです。

色々求人募集をみました。赤帽とか宅配便とか。でもどこも給料が安く、そのとき目にしたのが、タクシードライバーでした。定年退職したとはいえ、住宅ローンがまだ残っていて、妻も専業主婦なので、私が頑張るしかないのです。

妻に了解をもらいタクシー会社の面接を受け、数日後内定をもらいました。実は定年退職まで夜勤もしていたにで、夜中に勤務するのはさほど抵抗は無かったわけです。唯一2種免許に関しては、入社後に会社の経費で取らせて頂き、いまでは第二の人生スタートみたいな感じで、充実感があります。